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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)3189号 判決

原告(反訴被告)

中村貞見

右訴訟代理人弁護士

真鍋正一

鎌田杏當

被告(反訴原告)

馬場精機工業株式会社

右代表者代表取締役

馬場勝雄

右訴訟代理人弁護士

西垣剛

八重澤総治

田中義則

主文

1  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、一〇万円とこれに対する昭和五八年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  反訴被告(原告)は、反訴原告(被告)に対し、一三七万二五三五円とこれに対する昭和五八年五月一八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告(反訴被告)及び反訴原告(被告)のその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は、本訴及び反訴を通じ全部原告(反訴被告)の負担とする。

5  この判決は、第3項を除き仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴

1  請求の趣旨

(一) 被告(反訴原告。以下、本訴及び反訴を通じ単に「被告」という。)は、原告(反訴被告。以下、本訴及び反訴を通じ単に「原告」という。)に対し、六七〇万円とこれに対する昭和五八年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行宣言。

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

二  反訴

1  請求の趣旨

(一) 原告は、被告に対し、一四六万四四七八円とこれに対する昭和五八年五月一八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

(三) 仮執行宣言。

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 被告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴)

一  請求原因

1 本件事故の発生

原告は、昭和五七年一月二三日被告肩書地所在の被告会社作業場内において、被告の従業員である吉田均とともに、同作業場の天井に設置されたクレーンにより、同作業場の中二階部分に設備されている格納場所に被告所有の二トン貨物自動車(以下、「本件車両」という。)を格納する作業に従事中、原告において被告製作にかかる本件車両格納用の玉掛装置(その形状は、別紙図面(Ⅰ)のとおりである。以下、「本件装置」という。)を本件車両荷台に取り付け、次いで本件装置のシャックルを右クレーンのフックに掛けたうえ、右格納作業の最終段階で地上から吊り上げられた車両を横に移動する作業に移るまでの間、そのまま荷台に乗つて待機していたところ、引き続き吉田均において右クレーンを操作ボタンによつて操作し、本件車両を約六メートルの高さまで吊り上げた際、突然本件装置の四本のシャックルのうち三本がクレーンのフックからはずれたため、本件車両もろとも作業場内の床に転落した(以下、「本件事故」という。)。

原告は、本件事故によつて右後頭部・右上肢・腰部右大腿打撲、頸椎捻挫の傷害を受けた。

2 被告の責任

(一) 工作物責任(民法七一七条)

本件装置は、被告の占有する作業場内の天井に固定されたクレーンの付属設備としてこれと一体をなすものであり、土地の工作物というべきところ、クレーンのフックに掛けたときのシャックルの角度が一二〇度以上も開いて広すぎるため、わずかの振動や揺れによつても容易にシャックルがクレーンのフックから外れる構造となつており、玉掛に用いる装置として通常備えるべき安全性を欠いていたものである。したがつて、被告は、瑕疵あるクレーン設備を占有していたものとして、民法七一七条により後記損害を賠償する責任がある。

(二) 使用者責任(民法七一五条)

訴外吉田均は、本件車両の吊り上げ作業の際、操作ボタンによつてクレーンを操作する作業を分担していた者であるが、クレーンによつて本件車両を吊り上げることは、前記のとおり、本件装置のシャックルがわずかの揺れによつてでもクレーンのフックから外れて本件車両を転落させることになる極めて危険な作業であるから、クレーン操作に際しては、本件車両の荷台には誰も乗らないよう配慮するとともに、本件装置のシャックルが確実にクレーンのフックに接合されていることを確認したうえでこれを操作し、もつて本件車両の転落による人身事故の発生を防止すべき注意義務があつたのにこれを怠り、原告が本件車両の荷台に乗つたまま待機していたのに荷台から降りるよう注意しなかつたばかりか、シャックルとクレーンのフックとの接合状態を確認することもせず、慢然と操作ボタンを押してクレーンを操作し、本件車両を吊り上げた過失によつて本件事故を惹起させたものである。したがつて、被告は、訴外吉田均の使用者として民法七一五条により後記損害を賠償する責任がある。

(三) 不法行為責任(民法七〇九条)

本件装置を用いて本件車両をクレーンで吊り上げ、これを作業場内の中二階に設備された格納場所に格納するということ自体、きわめて特殊かつ危険な車両保管方法であることは前記のとおりであるから、被告としては、そのような車両保管方法を採用することなく、適当な駐車場を借りてこれを保管する等の方法をとることによつて本件のごとき事故の発生を予防すべき注意義務があつたのに、これを怠り、駐車料の節減のために本件装置を製作して原告に本件吊り上げ作業に従事させた過失により本件事故を惹起させたのであるから、民法七〇九条によつても後記損害を賠償する責任がある。

3 損害(慰藉料)

原告は、前記受傷の治療のため、昭和五七年一月二九日から同年二月八日まで大野病院に入院し、その後さらに同年八月一三日まで同病院に通院したが、右治療期間中に右受傷に起因する外傷性の突発性難聴に罹患し、これが完治しないまま昭和五七年八月一三日ころその症状が固定し、その結果、両耳の聴力に著しい障害を負うに至つた。この後遺障害は、労働基準法施行規則四〇条別表二の身体障害等級表(以下、「障害等級表」という。)に定める第六級三号(「両耳の聴力が耳に接しなければ大声を解することができない程度になつたもの」)に該当するものであるところ、原告が本件事故によつて受けた肉体的精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額としては、右入通院の期間を基準に算定した七〇万円と後遺障害の程度を基準に算定した六七〇万円との合計額七四〇万円とするのが相当である。

よつて、原告は、民法七一七条、同法七一五条または同法七〇九条に基き、被告に対し、本件事故によつて被つた財産的・精神的損害のうち、右慰藉料の内金六七〇万円(後遺障害の程度を基準に算定した分)及びこれに対する本件事故の後である昭和五八年一月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実のうち、原告主張の日時場所において、原告が被告の従業員吉田均らとともに本件車両を原告主張の格納場所に格納する作業に従事していたこと、その際原告が被告製作にかかる玉掛装置(ただし、それは原告主張のような形状のものではなくて、別紙図面(Ⅱ)のような形状のものであり、シャックルは二本である。)を本件車両の荷台に取り付け、次いでその装置のシャックルをクレーンのフックに掛け、そのまま右荷台の上に乗つていたこと、その後吉田均が操作ボタンによつてクレーンを操作し、本件車両を吊り上げたこと、吊り上げた後シャックルがフックから外れ、本件車両が作業場の床に落下したことは認めるが、その余の点は否認する。吉田均が本件車両を吊り上げたのは地上から一・五メートルの高さであり、そのままの高さで水平移動させている途中においてシャックルがフックから外れたものである。また、床に落下したのは本件車両だけであつて、原告は床に転落していない。

2 同2の各事実はいずれも否認する。本件装置の形状が別紙図面(Ⅱ)のとおりであることは前記のとおりであつて、シャックルがフックから簡単に外れるようなことは決してなく(外れるのはシャックルが揺れて約二〇度以上傾いた時に限られる。)、本件事故は、原告が本件車両の荷台の上に乗つたままチェーン操作を始めたため車両のバランスが崩れて揺れ動き、またはフックの掛け方が正確でなかつたことから本件装置の二本のシャックルのうち一本がフックからはずれたことが原因で発生したものである。

3 同3の事実のうち原告の受傷及び入通院の点は知らない。その余は否認する。前記のとおり本件事故は極めて軽微なものであるから、原告がこれにより受傷したとしてもその程度は軽いものである。また、原告が外傷性難聴に罹患した事実もなく、単に難聴を装つているだけである(三・五メートル先からの普通の話し声も十分聴き取ることができる)。のみならず、仮に難聴に罹つているとしても、それは、本件事故前から罹つていた騒音性のものであるから、本件事故と右難聴との間に因果関係は存在しないというべきである。

三  抗弁(過失相殺)

被告代表者は、常日頃から原告ら従業員に対し、本件装置を用いて車両を前記格納場所に格納するためにクレーンでこれを移動するときは、作業者は必ず車両から降りるよう注意し、原告もまた、玉掛作業の有資格者として、クレーンで吊り上げた物の上に人が乗つたままでいることがいかに危険なことであるかを知悉していたのにかかわらず、クレーンで吊り上げられた本件車両の荷台の上に原告が乗つたままチェーン操作をしてこれを揺り動かすようなことをしたため、本件事故が発生したものであるから、損害額の算定については、原告の右過失を斟酌してその九〇パーセントを減額すべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。被告代表者からその主張のような注意を受けたことはないし、また、原告は、玉掛の経験はあるが、その免許を得ている者ではない。

(反訴)

一  請求原因

1 被告は、昭和五六年一一月から同五七年一二月まで一四回にわたり、原告が納付すべき各月分の社会保険料合計二三万三〇二〇円につき、原告の委託を受けてこれを原告のために立替えて納付した。

2 被告は、昭和五八年一月及び二月にも、右各月の社会保険料合計四万九六六〇円を立替えて納付した。

3 被告は、原告に対し、昭和五七年二月から五月までの間に四回にわたり、合計三六万九五七四円を貸し渡した。

4 被告は、原告に対し、別紙約束手形目録記載の各振出日に、同目録記載の手形三通(以下、「本件各手形」という。)を振出交付する方法によつて、同金額欄記載の金員(合計一三三万円)を貸与し(弁済期は各満期の直前ころとの約定)、かつ、本件各手形はいずれも満期に支払われた。

5 被告は、原告から右1、3及び4の債務の弁済として、合計五一万七七七六円の支払を受けた。

よつて、被告は、原告に対し、右1ないし4の債務の合計額一九八万二二五四円から右5の弁済額を控除した一四六万四四七八円とこれに対する弁済期の後で反訴状送達の日の翌日である昭和五八年五月一八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、3、4及び5の各事実は認めるが、同2の事実は否認する。

三  抗弁

1 支払猶予の合意

被告は、昭和五七年一二月一八日原告との間において、請求原因1、3及び4の債務合計額から同5の弁済額を控除した残額一四一万四八一八円につき、(一) うち四五万円については、政府から労災補償保険金が給付されるまでその支払を猶予する、(二) その残額については、昭和五七年一二月末日から毎月末日限り二万円ずつを分割して支払う旨の合意(以下、「本件猶予合意」という。)をした。

2 相殺

(一) 原告は、被告に対し、本件口頭弁論期日において、原告の被告に対する後記損害賠償債権の一部をもつて、被告の反訴請求権と対当額にて相殺する旨の意思表示をした。

(二) 右損害賠償債権の発生原因は、次のとおりである。すなわち、本訴請求原因1のとおりの本件事故が発生し、同2の原因により被告は原告に対してこれによつて生じた損害を賠償する責任を負うところ、原告が本件事故により被つた損害は、次のとおりである。

(1) 休業損害(二六万八二〇七円)

原告は、本件事故当時被告に勤務し、毎月二五万一〇四一円の給与を得ていたが、前記受傷のため昭和五七年一月二三日から八月一三日までの間入通院治療を受け、その間全く就労することができなかつたため、合計一六六万八二〇七円の得べかりし収入を喪失したが、右休業期間分として労働者災害補償保険(以下、「労災保険」という。)から一四〇万円(一日につき五〇七三円)の休業補償保険金の支払を受けたので、結局、その残額二六万八二〇七円が本件事故による損害である。

(2) 逸失利益(一二二二万九六五〇円)

原告が本件事故により障害等級表第六級三号に該当する後遺障害を受ける結果となつたことは前記のとおりであり、これにより原告は、その症状固定時以降就労可能な一〇年間にわたつてその労働能力を六七パーセント喪失することとなつた。そこで、原告が失うことになる収入総額からホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して右逸失利益の右症状固定時の現価を算出すれば、一六〇三万五九四六円となるが、原告は、労災保険から三八〇万六二九六円の障害補償保険金の支払を受けているので、その残額一二二二万九六五〇円が賠償を受けるべき逸失利益の額である。

(3) 慰藉料(七〇万円)

原告が本件事故によつて受けた肉体的精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額が七四〇万円であることは前記のとおりであるが、内金六七〇万円は本訴において請求している金額であるから、相殺のために主張することができるのは残額の七〇万円である。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1の事実は否認する。被告が期限の猶予を承諾したような事実はない。

2 抗弁2の(二)については、本訴請求原因に対する認否のとおりである。その損害の主張も争う。

五  再抗弁

1 本件猶予合意の際同時に、原告と被告との間で、原告において右合意に基く分割弁済を相当回数怠つたときは、原告はその期限の利益を失い、残債務を一時に支払う旨の黙示の合意が成立したものであつて、そのことは、本件猶予合意が、被告の一括弁済の請求に直ちに応じることができなかつた原告からの懇請を容れて、やむなくなされたものであることからも明らかである。しかるに原告は、その後右分割金を一度も支払つていないので、既に期限の利益を喪失しているものというべきである。

2 原告は、本件事故による労災補償保険給付として、(一) 障害補償給付一時金三三〇万六二九六円、(二) 特別支給金二六四万円、(三) 後遺障害に対する障害補償(年金)として七九五万四八五八円、(四) 休業補償として一四〇万円の各支払を受けている。ただし、右休業補償一四〇万円と障害補償のうち三八〇万六二九六円とは原告において自認し、これをその主張損害の額から控除しているので、それを超える部分がさらにその損害額から控除されるべきである。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁2の事実は認めるが、同1の事実は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一原告の本訴請求について

一請求原因1の事実のうち、原告主張の日時場所において、原告が被告の従業員吉田均らとともに本件車両を原告主張の格納場所に格納する作業に従事していたこと、その際原告が、被告製作にかかる玉掛装置(ただし、その形状の点を除く)を本件車両の荷台に取り付け、次いでその装置のシャックルをクレーンのフックに掛け、そのまま右荷台に乗つていたこと、その後、右吉田が操作ボタンによつてクレーンを操作し、本件車両を吊り上げたこと、吊り上げた後シャックルがフックから外れ、本件車両が作業場の床に落下したことは当事者間に争いのないところ、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  本件事故当時使用された玉掛装置は、別紙図面(Ⅱ)のとおりの形状のものであつたところ、この玉掛装置(本件装置)を用いて本件の車両を右格納場所に格納する方法は、まず別紙図面(Ⅱ)の部分を車両の荷台の四か所に熔接されているフックに掛けて本件車両に据え付け、本件装置のシャックルを作業場の天井に設置されているクレーンのフックに掛けたうえ、右クレーンで約一・三メートル吊り上げ、そのまま中二階部分の手前まで水平移動させるとともに、その地点で再び荷台を中二階の床部分に乗せられる高さにまで吊り上げ、チェーン操作によつて荷台を中二階の床に乗せた後、車体前部を脚立様の支柱で支えるというものであつた。

2  本件事故の際も原告は、本件装置のシャックルをクレーンのフックに掛けた後、荷台に乗つたまま吉田均にクレーン操作を指示し、約一・三メートル本件車両を吊り上げさせたうえ、そのままの高さでこれを水平移動させていたところ、移動に伴う動揺のため本件装置のシャックルのうち一本がクレーンのフックから外れた。

3  このため本件車両は傾き、本件装置の別紙図面(Ⅱ)の部分のうち右側(運転席側)の2か所も荷台のフックから外れて本件車両の右側の前後両車輪が作業場の床に落下したが、左側(助手席側)の前後両車輪は、宙吊りの状態のままであつた。

4  原告は、本件車両が右のようにして落下する際にも荷台に乗つたままであつたが、本件装置のシャックルがクレーンのフックから外れそうになつていることを事前に察知し、近くにいる吉田均らに「外れそうだから逃げろ」と大声で危険を知らせる一方、自らもクレーンのチェーンを両手でつかんで身体を支えたため、荷台から床上に転落するようなことはなかつた。しかし、車体が転落した瞬間、右後頭部、右上肢、腰部、右大腿部、右足部をどこかに打ちつけて座つたままの姿勢で荷台の上で暫くじつとしており、まもなく、その場に居合わせた同僚の阿部達男の手を借りて作業場の床に降りた後、治療を受けるため吉田らに伴われて病院に赴いた。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前記各証拠に照らして採用し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

二被告の責任

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

1  本件事故発生以前にも、時折、前記認定のような方法で本件車両を格納するに際して、荷台に人を乗せたままこれをクレーンで吊り上げたり、水平移動させたりすることがあつたところ、そのような場合、人の乗つている位置いかんによつては、クレーンで吊り上げられた本件車両が前後左右にかなり揺れ動くことがあつた。

2  本件装置に取り付けられている二本のシャックルをクレーンのフックに掛けると、静止したままで約一三〇度の角度で開く状態となるところ、クレーンフックの開口部側に掛けたシャックルをその状態のまま約二〇度開口部寄りに揺り動かすとクレーンのフックから外れる危険性があり、かつ、その程度の動揺は、吊り上げられた車両自体の揺れに応じて比較的容易に起こる可能性があつた。

3  本件装置による本件車両の格納作業は、従前から、その設計者である被告代表者馬場勝雄が主として行つていたが、原告ら従業員がその作業に従事することもあり、右代表者がそれを禁ずるようなことはなかつた。

右認定事実によれば、被告代表者の目の届かないところで、原告ら従業員が本件車両の格納作業に従事し、かつその際、吊り上げられた車両がなんらかの理由で動揺して本件装置のシャックルがクレーンのフックから外れ、車両の転落によつて事故が発生するに至ることは被告においても予見することができたものというべきであるから、被告としては、本件車両が多少揺れ動いても、本件装置のシャックルのうちクレーンフックの開口部側に掛けられた一本が同開口部から外れていかないよう二本のシャックルを熔接して固定したり、あるいは、クレーンフック開口部等にシャックルの離脱を防止する装置を取り付けたりなどして、本件のような事故を容易に発生させないような構造の装置ないし設備を整えたうえこれを従業員に使用させ、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたのに、被告がこれを怠り、前記認定のような形状、機能のままの本件装置・クレーンを原告らに使用させた結果、本件事故が発生したものといわなければならない。

したがつて、被告は、民法七〇九条により、本件事故によつて生じた後記認定の損害を賠償する責任を負うものというべきである。

三損害

1  原告の受傷及びその治療経過

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故により右後頭部・右上肢・腰部打撲、頸部捻挫、右大腿部・右足部打撲の傷害(いずれも軽傷で、意識障害はなかつた。)を受け、事故当日の昭和五七年一月二三日、同月二五日及び同月二七日の三日間医療法人寿楽会大野病院に通院して治療を受けたところ(同病院では、昭和五七年一月二五日より五日間の安静加療を要するとの診断を受けた)、その後、頭痛や耳鳴を訴えるようになつたことから、同月二九日に同病院に入院したが、病室が騒しいとの理由で同二月二日頃から外泊するようになり、やがて二月八日には退院して、その後は同病院に通院していた。

(二) ところが、原告が、本件事故より約一か月を経過した昭和五七年二月二五日ころから、難聴と耳鳴りとを強く訴えるようになつたため、担当医が、専門医(耳鼻科)の診察を受けるよう勧めたが、原告は容易にこれに応じようとせず、同年四月五日になつてようやく、耳鼻咽喉科の専門医である並川清一医師の診察を受けるにいたつた。その結果、耳管狭窄は認められず、鼓膜、鼻腔・咽頭にも異常はなかつたが、両耳ともに高音域において難聴が認められ、その難聴の程度は、補聴器をつければ会話も就労も十分可能な範囲のものであつた。

(三) 原告の症状のうち打撲部位の痛みや右上肢のしびれ等は昭和五七年二月下旬までに治癒するにいたつたが、右聴力障害のみはその後の治療によるも軽快することなく、結局、両耳の平均純音聴力損失値が五〇ないし六〇デシベル程度で、補聴器を使用することにより会話や就労が可能となる程度の聴力障害を残存させたまま、昭和五七年八月一三日ころその症状が固定した。

以上の事実であつて、〈証拠〉中の、原告の両耳の聴力が耳前での大声にも反応せず、これを了解しえない程度のものとの記載部分は、〈証拠〉に照らして採用し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

2  本件事故と難聴との因果関係

原告は、右難聴は本件事故によつて生じたものであると主張し、被告はこれを争うので、次にこの点について検討するに、成立に争いのない甲第二七号証、証人吉田均、同阿部達男の各証言、原告及び被告代表者本人尋問の結果によれば、原告には、本件事故前にも若干の聴力障害があり、時々他人から声をかけられても返答をしないようなこともあつたが、その程度は比較的軽微で、特に社会生活に支障を来たすほどのものではなかつたことが認められるとともに、本件事故によつて原告が後頭部を打撲し、その後一か月を経過したころから、頭痛とともに難聴の程度がひどくなつて、遂にかなりの聴力障害を残す結果となつたことは前記認定のとおりであるから、その外形的経過をみる限り、右聴力障害は本件事故によつて生じたものと推認せざるをえないかのごとくである。

しかしながら、一方、本件事故による原告の頭部打撲の程度が意識障害も生じないほどの軽微なものであつたこと、両耳の各器官には何らの異常も生じていないことは、いずれも前記認定のとおりであつて、この程度の軽微な頭部打撲によつて聴神経や血管に何らかの異常を来たし、それが原因で難聴が発症・悪化したものとみることは困難であるといわざるをえないばかりでなく、原告の難聴が両耳についてほぼ同程度であり、しかも高音域において著しいことは前記のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、右のような症状の難聴は、外傷性のものであるよりも、むしろ騒音性のものである可能性が高いことが窺われるのであつて、これらの点からすれば、前記のごとき事実関係のみによつて本件事故と原告の難聴との間の因果関係を推認するわけにはいかないといわざるをえず、しかも他に右因果関係の点を肯認するに足りる証拠は見当らない。なお、甲第七号証及び甲第三八号証中に右因果関係を肯定するかのごとき記載部分があるが、それらはいずれも、本件事故により原告の頭頸部に急激で強力な外力が加わつたとの事実を前提とする推論にすぎないので、その前提事実が前記のとおりである本件においては、これを採用して右因果関係を肯認することはできないというべきである。

3  慰藉料

原告が本件事故によつて傷害を受け、前記認定のとおりの治療を受けたことによつて受けた肉体的精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額は、一〇万円と算定するのが相当である。

なお、原告主張の難聴が本件事故によるものであるとの点については、これを認めるに足りる証拠がない以上、右の点を慰藉料の額を算定するについて斟酌することはできない。

ところで、原告は、本訴請求において、右後遺障害の程度を基準として算定した慰藉料額の支払のみを求めているけれども、もともと後遺障害による慰藉料とか入通院治療による慰藉料とかいつたものがそれぞれ別個の慰藉料として存在するわけではなく、一個の不法行為によつて生じた精神的肉体的苦痛(非財産的損害)を慰藉(賠償)すべき慰藉料の額の算定に際し、後遺障害の程度や入通院の日数を被害の程度を示すものとして斟酌するだけのことであつて、裁判所も、右のような当事者の主張に拘束されることなく、相当と認められる諸般の事情を斟酌してその額を算定することができるものと解すべきであるから、本件において右のような慰藉料を認めたからといつて、原告の求めていない請求を認容したことにはならない。

四過失相殺

前記認定のとおりの本件事故前及び事故当時の事実関係に照らせば、本件事故による損害額の算定に際し、斟酌しなければならないほどの過失が原告にあつたものということはできない。

第二被告の反訴請求について

一反訴請求原因1、3、4及び5の事実は当事者間に争いがないが、同2の事実はこれを認めるに足りる証拠がない。

二1そこで本件猶予合意の抗弁について検討するに、〈証拠〉によれば、本件猶予合意成立の事実を認めることができる。

2  被告は、原告の右期限の利益は失われたと主張するので、次にこの点について判断するに、〈証拠〉によれば、被告が本件猶予合意を結ぶことを承諾するようになつたのは、被告からの一括請求に直ちに応じることができなかつた原告からの懇請を断り切れず、仕方なくこれに応じることとしたとの経緯によるものであることが認められ、このような事情と本件猶予合意自体の内容とを併わせ考えるならば、本件猶予合意の際に、被告主張のような期限の利益を喪失させる旨の合意が原被告間に黙示的に成立したものと推認するのが相当である。しかるに、原告が約定の分割金を一度も支払つていないことは原告の明らかに争わないところであるから、遅くとも被告の反訴提起(昭和五八年五月一二日)以前には、原告はその期限の利益を喪失するにいたつたものといわなければならない。

三相殺

1  反訴に対する抗弁2(一)の事実(相殺の意思表示)は当裁判所に顕著である。

2  被告が本件事故によつて原告の被つた損害を賠償すべき義務を負うことは前記説示のとおりである。

そこで、原告の被つた右損害のうち、抗弁2(二)(1)の点(休業損害)の点について検討するに、〈証拠〉によれば、原告は、本件事故当時被告に勤務し、日額八四五六円の給与を得ていたことが認められるところ、前記のとおりの原告の受傷の程度及びその治療経過に照らせば、原告は本件事故による受傷のため、昭和五七年一月二五日から五日間(すなわち、本件事故の日から昭和五七年一月三〇日までの八日間)安静加療を余儀なくされ、その間就労することができなかつたものというべきであるから、原告が右休業によつて失つた収入は、六万七六四八円となるが、これから原告が既に支払を受けた前記労災保険休業補償給付のうち右八日分の二万五三六五円(ただし、当初の三日間は支給されていない。)を控除すれば、原告が被告に対し賠償を求めうる休業損害の額は、四万二二八三円となる。

ところで、原告が昭和五七年一月三一日以降も現実には就労していないこと前記のとおりであるが、原告の受傷の程度及び治療経過に照らせば、聴力障害を除く原告の症状は、昭和五七年一月三一日ころ以降は、適宜通院することによつて軽快したものと推認すべきであつて、昭和五七年一月三一日ころ以降の休業による原告の収入減は、本件事故と相当因果関係に立つ損害ということはできない。

第三結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、一〇万円の損害賠償金とこれに対する本件事故の後である昭和五八年一月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、被告の反訴請求については、一三七万二五三五円とこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和五八年五月一八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、なお、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官山下満 裁判官橋詰 均)

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